架線柱考察

 今回の再調査で,市内に79本の架線柱が残存していることが分かりました。内訳は別表の通りです。
 この数を多いとみるか,少ないとみるかは個人差があると思いますが,私は結構残っていたなぁという印象です。
 では,この残された架線柱は,どのような種類がどういう傾向で残されているのか,今後はどうなるのか,その辺りを考察してみました。
【路線毎の考察】
 最も架線柱が多く残されている路線は,河原町線及び西大路線の15本でした。逆に,最も少ない路線は,七条線(NN1),稲荷線(FI4),北大路線(KT1)の1本のみでした。なお,「北野線」,「蹴上線」及びそれ以前に廃止となった京電路線の架線柱は,残念ながら現存されているものはありません(なお,蹴上線には溶断された基礎部分のみ残存しています)。

 また,架線柱が残されている路線毎にも特徴があります。
○北大路線:北側に残されている。
○東山線:東側に残されている。
○九条線:南側に残されている。
○西大路線:西側に残されている。
 つまり,外周線は,外回りが残されています。

○今出川線:加茂大橋より西は南側,加茂大橋より東は北側に残されている。
○丸太町線:北側に残されている。
○七条線:北側に残されている(1本のみ)
○四条線:北側に残されている。
 つまり,外周線以外の東西に走る路線は,今出川線西半分を除いて北側に残されています。

○白川線:西側に残されている。
○烏丸線:西側に残されている。
○大宮線:西側に残されている。
○河原町線:葵橋より北は東側に,葵橋より南は西側に(一部東にもあり)残されている。
○千本線:東側に残されている。
 つまり,外周線以外の南北に走る路線は,千本線と河原町線の一部だけが東側に,それ以外は全て西側に残されています。

 これには,何かルールか法則があるのでしょうか?
 考えてみたのですが,撤去あるいは更新するにしても,どちらかに集中して残すほうが,工事の関係,または予算の関係で都合が良いのかもしれません。

 また,架線柱の撤去は,普通に考えると,廃止された路線から順番に行われるように思われます。
 結果的に,比較的晩年近くまで路線が残っていた河原町線・西大路線に架線柱が多く残されていることから,一見廃止が遅かった路線の方が撤去が遅くなる傾向にあるように思えます。しかし,同様に比較的晩年に廃止となった北大路線に2本,七条線に1本しか残されていないことや,つい最近まで伏見線に多く残っていた架線柱が京都高速道路(阪神高速京都線)の工事・開通とともに殆ど撤去されてしまった事実から考えると,必ずしも古い順番から撤去が進むわけでもないように思えます。
 結局,ここには法則性がありそうでなく,施設の老朽化,道路事情もさることながら,関連する公共工事,都市開発などにも多大に影響することが考えられます。 実際,この10年で東山線の架線柱が大量に撤去されました。また,京都市が進める無電柱化も影響があり,後院通も令和9年までに無電柱化が完了する予定です。
【用途の考察】
 架線柱が残される主な要因は,やはり「使用用途」にあると考えられますが,それらの主なものはこの表にあるように,信号機の柱,標識柱,電信柱,照明柱などのようです。他にも用途はあると思われますが,何に使用されているか不明なものもあり,ここでは4種類としました。

 結果として,電柱として使用されているものが多く,次に信号柱,標識柱でした。(なお,電柱として使用されているものも,家庭用に供給する電線なのか,単に信号等に電気を送電するために架線柱に電線が引っ張られているだけなのかの区分が素人では判断できないものもあります。というのは,架線柱のほぼ100%に電線が引っかけられているからです。電線が引かれていない架線柱の方が珍しいでしょう。明らかに信号用のみであると判断できるものは,電柱の用途からは外していますが,その他のものでは厳密には不正確なところがあるかもしれませんので,その辺りはご容赦ください)
 もちろん,複数の使用用途をもっている架線柱も少なくありません。当時の写真を見ると,現役時代からその用途をもっているものもあるし,そうでないものもあるので,なぜ残されたのか?という判断はなかなか難しそうです。
 ただ,中には,使用用途がない(放置架線柱)と思われるものも存在しました(東山三条,東山五条,九条近鉄南東)。これらはいつ撤去されてもおかしくないと考え,絶滅危惧種Vと定義しましたが,これらは残念ながらこの10年で想定通り撤去されました。
【頂部装飾:タイプ毎の考察】
 架線柱の特徴として頂部の装飾があります。
 このタイプ別では,擬宝珠型とUFO型がほぼ同数,次にベレー帽型が多いことが分かりました。ほぼ当初の予測通りでした。
 ただ,調査前は,ベレー帽型と矩形型(門型)は一か所しか残っていないのではないかと思っていましたが,調査の結果,意外とベレー帽型が多く残っていることに驚きました。
 まず,擬宝珠型とUFO型は,ほぼどの線にも混在して設置されています。一方でベレー帽型は,当初白川線にしかないと思っていましたが,河原町線・・・それも下鴨本通にも集中して設置されていたことが分かりました。それでも白川線と河原町線にしか存在しない架線柱になります。なお,矩形型(門型)は,今や大宮跨線橋にしか残っていない貴重な架線柱です。
 また,ある程度の法則性もあり,1つのタイプはその区間に集中している傾向もあります。しかし,例えば,UFO型が並んでいる区間に,一本だけ擬宝珠型が混じっていたりする区間もあります(例:西大路線円町〜九条間は,UFO型が並んでいますが,八条に1本だけ擬宝珠型が存在)。

 さて,これらのタイプは,いつ頃,設置されたのでしょうか?何か法則はあるのでしょうか?
 あくまで机上の推測なので,今後は詳細な調査が必要ですが,当初は開通時期に関係しているのではないかと考えていました。仮に「開通時期案」と呼ぶことにします。つまり,開通時期によって架線柱の形状を変えていった,という推測です。おそらくは,擬宝珠型→UFO型→ベレー帽型の順ではないでしょうか。ベレー帽型の設置区間が白川線(白川通)と河原町線(下鴨本通)という市電の末期(昭和30年代)に開通した時代にしかないことからも推測できます(なお,矩形型はその形状から設置場所が粗方決まってしまうのでここからは除いて考えます)。
 実際に,それぞれタイプの設置路線の開通時期を見ると,最も古い路線は1912年(明治45年)の京都市電開業時の四条・千本・大宮線等にあたる区間です。この区間は擬宝珠型しか存在しません。その後延伸開業した路線も,擬宝珠型が並んでいることがわかりました。
 一方,UFO型が初めて設置されたのはいつ頃か調べてみると,現存するUFO型架線柱で最も古い設置路線は,1921年(大正10年)の塩小路高倉北東の架線柱になります。市電開通10年後ですね。
 ただ,その後も擬宝珠型は継続して設置されていますし,上述したようにUFO型が並ぶ路線の中に擬宝珠型が混じっている箇所もあります。同時期かつ同区間に開通した路線に当初から異種の架線柱が混じっているというのは少し考えにくいことです。となると,設置後何年か経過してから,何らかの理由で老朽化或いは交換せざるを得なくなり,違うタイプに置換えたのではないか,ということが考えられます。
 確かにそう考えると,オーバーラップする時期が存在するにしても,擬宝珠型→UFO型→ベレー帽型ということは言えそうです。
 しかし,これらの架線柱の設置時期を時系列に並べると,現存している擬宝珠型架線柱の最後の設置,つまり最も新しく設置された個所は,1962年のトロリーバス梅津線の松尾橋停留所のものです。トロリーバスは四条大宮〜西院開通後,梅津,松尾橋と路線を伸ばしていったので,四条御前にあるUFO型よりも松尾橋にある擬宝珠型の方が設置が後,ということになります。
 ちなみに現存しているUFO型架線柱の最終設置は,東山御影にある1943年のものです。つまり,戦後になってからUFO型は設置されていないことになります。もちろん,残っている架線柱だけで判断した場合ですが。。。
 さらに,冒頭にも言いましたが,架線柱はこの3種類だけではありません。開業当初はセンターポール型も使用されていましたし,木造架線柱も使われていました。これらが現存していない今,残されている架線柱が開通当初からあったかどうかはこれだけでは分かりません。また,ひょっとしたら擬宝珠型→UFO型という架線柱の置換えもあったかもしれません。
 そう考えると,開通時期案が絶対正しいとも言えなくなってきます。

 次に考えられるのが,「メーカー別案」です。
 要するに,架線柱頂部の装飾は,市が設計したものではなく,架線柱メーカーが設計したものである,という仮定です。これはもう交通局に資料が残っているかどうか確認するしか方法がないのですが,メーカーによって架線柱頂部の装飾に違いがあるのならば,他都市の路面電車に残っている架線柱にも同類の架線柱が使用させているはずであり,これらの調査を行う必要が出てきます(結構面倒臭いなとこれを書きながら冷や汗が出ましたが…笑)。

 いずれにしても,もう少し調査をしないとまだ謎が残されていますね。

【胴体:絞り等の考察】
 絞りのタイプには正直悩まされました。違いがあるのは分かっていましたが,実際,頂部の装飾と関連性があるのかないのか。また別の関連性があるのか。これらは製作方法に関係すると思われるので,おそらくは時代が関係するのではないかと思います。勝手な予想ですが,「リング」→「リベット」→「絞り」の順番です。
 とりあえず,調査前までは,こんなところまで調べなくてもいいかなー,と思っていましたが,念のために調査したにすぎませんのでご了承を…(汗)。

 結果として,「絞り」タイプは「擬宝珠」型が最も多く27本,「UFO」型が8本,「ベレー帽」型は16本ありました。「リベット」タイプは,「UFO」型が最も多く14本,「擬宝珠」型が2本と,「絞り」タイプとは逆の傾向にありました。
 なお,「ベレー帽」型は「絞り」タイプしかありません。また最も本数の少ない3本の「リング」タイプは全て「擬宝珠」型でした。古写真を見ると,センターポール式の架線柱はすべて「リング」タイプのようです。また,頂部も擬宝珠タイプなので,これは設置した時代が関連するかもしれません。しかし,仮に頂部の装飾が開通時期に関連していたとしても,擬宝珠型にも「絞り」タイプが多数存在するので,あまり製作時期は関連しないということも大いに考えられます。
 また,メーカー別だったとしても,やはり胴体の形状に傾向はあっても,関連性があるようには思えません。
 結局,よくわかりませんでした。ある程度の傾向はあるのですが,参考になるかも,今のところよくわかりません。

 なお,胴体の特徴として,もう一つ架線柱の高さに違いがあるものがあります。
 既に撤去されましたが,九条車庫にある「KJ1」「KJ2」の2本,及び河原町三条にある「KW5」〜「KW9」の5本です。これらは,明らかに他の架線柱と比べて非常に高さがありました。これらは何故わざわざ高いものを設置したのでしょうか?まぁ,使用用途としか考えられませんが…

【絶滅危惧度】
 さて,今後はこれらの残された架線柱はどうなっていくのでしょうか?
 架線柱としての役目を終え,第二の人生を与えられたとしても,施設である以上,これらもいずれ撤去・更新される運命にあります。路線毎の考察でも書きましたが,それが設置された順番,あるいは廃止された順番というわけでもないと思われます。やはり,その道路の事情も考えられます。公共工事は典型的な事例でしょう。
 例えば,四条通りは電柱の埋設工事が行われることで一気に撤去されました。竹田街道(伏見線)も最近まで大量に残されていましたが,高速道路の開通と同時に一気に置き換えられました。九条通りと大宮通りの高橋に残されていた唯一の矩形型架線柱も近年置き換えが進み,今は大宮通りに2本を残すのみです。

 さらに用途の考察でも書いたように,現在全く使用用途がない架線柱は全て撤去されました。用途が少ないものも,いつ撤去されてもおかしくありません。これを絶滅危惧度で表してみました。
 指標は,現在どれだけの使用用途があるか,設置されてどれくらい年月が経っているかです。これに,独自に道路事情から邪魔になっていないか,老朽化が進んでいないかなどを勘案し,以下の区分をしました。
絶滅危惧度V:使用用途がなく,いつ撤去されてもおかしくない(全滅)
絶滅危惧度U:使用用途が少なく,周囲の同類の架線柱が撤去されている,或いは錆の発生や設置状況,廃止後約40年以上経過している等の理由から撤去される可能性が高い
絶滅危惧度T:使用用途があり,当面置き換えられる心配がないと思われる
 別表では,V,U以外はTと判断してくだい。
 なお,これらの区分はあくまで独自の判断ですので,実際は道路状況,工事計画その他の関係で,絶滅危惧度に関わりなく架線柱は置き換えられる可能性があり,あくまで参考としてください。
 この10年で街の開発も進み,もう一度評価を見直した結果,絶滅危惧種Vは全滅,絶滅危惧度Uは10ヶ所と考えています。
 今後は,どのように撤去が進むのかわかりません。定期的にモニタリングしていく必要があるのかもしれません。

 最後になりましたが,この架線柱は私が独自に調査を行ったものであり,これ以外にも存在しているかもしれません。また,過去の設置状況をご存知の方がいらっしゃいましたら,併せて是非ご連絡いただきたいと思います。
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