京電・出町線の廃線跡探訪 |
寺町今出川付近
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出町線も単線で開通していた為,離合線を設けなければスムーズな運行ができないわけですが,狭い寺町通りでこの離合線を設けるのはかなり難航したようです。当初,広小路辺りに設けようとしたのですが,広さが十分ではなかった為,今出川通りの南に離合線が設けられました。 左の写真は,寺町通りの南側を写したものですが,ごらんのように突如この辺りだけ道路幅が広くなっているのは,ここに離合線があったという証拠です。 大正から昭和の初めにかけて活躍した詩人中原中也が,立命館中学在学時に下宿していた所がこの近く(寺町通りの一筋東)にあります。在籍していたのは大正12年〜14年なので,まさに出町線の廃止(大正13年)を見てきたことになりますね。 |
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寺町今出川を北に向いたところです。 ここを路線は東(右)に向きを変え,今出川通りに入ります。当時,今出川通りは,道路の真中に小川が流れていたらしく(現在は暗渠になっている),線路はこの小川の北側に敷かれました。 この出町線のうち,寺町通りの区間は大正13年の市電河原町線の開通と共に,廃止されることになります。 [平成17年8月] |
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