京電・城南線の廃線跡探訪

堀川押小路付近

堀川押小路  
神泉苑北  
千本押小路  
二条駅前  
 城南線とは,文字通り二条城の南を東西に走る路線でした。明治30年2月15日,京都鉄道(現在のJR山陰本線)が二条〜嵯峨間を開通させたのに伴い,堀川線と二条駅間を結ぶ路線として計画されたのが発端です。開通は,明治35年2月10日でした。

 起点は,堀川の東端を走っていた堀川線の押小路で,当時は押小路橋(左写真)を渡った松林の中にあったそうです。
 電車は,堀川線から堀川を斜めに渡って右折し,西に向いました。この堀川に掛かる橋は,鉄製で橋脚が2基あり,その橋台のあとが最近まで堀川の両岸に残っていましたが,現在は確認できません。また,この松林の中には給水塔があり,散水車がここで給水をしていたようです。(参照:当時の写真
 当時の城南線の起点がピンポイントで撮影された貴重な写真です。おそらく明治38〜45年ころの撮影と思われます。
 「京都行電車のりば」と読める看板が見えますが,堀川線はまだ単線です。右の電車は堀川線を北に向かうところです。このあと下立売通りを経由して,京都駅に向かうのでしょう。
 バックに二条城の石垣が見え,2つの電車の間には押小路橋が見えます。

 注目すべきは左の電車で,まさにこれが城南線の電車です。堀川を斜めに渡る鉄橋が写っているのが分かります。救助網が二条駅側に出ていますが,反対側は折りたたまれています。電車の行き先表示の文字が判別しにくいのですが,車掌と思われる人物がポール廻しをしているところが写っていますね。まさにここから折り返して二条駅に向かうところと思われます。つまり,城南線は堀川線に乗り入れていたのではなく,支線としてここから二条駅前までピストン輸送していたことが分かります。

 (写真提供:佐山豊子様)
 上の写真の現在の様子です。
 堀川の渡りの部分は現在は植込みが作られ,緑地化されています。鉄橋の痕跡は確認できません。これより南側は堀川は暗渠化されています。

[平成25年5月]
 堀川を渡った後,二条城の南端の通りの南側を走ります。
 堀の右端にあるのは,東南隅櫓です。

[平成17年8月]
 左写真は,南端の通りを東に向いた写真です。
 二条城の東南隅櫓の向こうに移っている建物は全日空ホテルです。

[平成17年8月]

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