伏見・稲荷線の廃線跡探訪

(高倉跨線橋)

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N  京電・伏見線開通当初は,東海道線に踏切があり,その南側から通っていましたが,市内線との接続の利便性を図るため,この跨線橋が架橋され,市電も東海道線を跨ぐようになったようです。

 [昭和45年]

 現在の高倉跨線橋です。
 道路の端に歩道が設置され,市電が走っていないことを除けば,橋の形状などは当時のままです。
 バックに見える新幹線も,現在となっては700系が走るようになり,そのまた後ろには高層ホテルが建つなど,随分変貌しました。

 [平成12年3月]

 この跨線橋の北側の側面に石垣があります。
 この石垣をよく見ると,現在の通り沿いにまっすぐ…というよりも,やや西に曲がりながら続いているように思います。

 この現在の跨線橋は,昭和29年にそれまでの跨線橋を架け替えたものですが,さらにそれ以前は,大正3年に旧東海道線を南に移設するのに併せて,それまでの陸橋を架け替えています。大正3年以前は東海道線はもっと北側に走っていたので,この石垣はおそらく当初架橋された時の石垣がそのまま残っているものと思われます。

 [平成23年1月]

 もう少し近づいてみました。
 古地図を見ても,当時の跨線橋は現在よりも,もっと45度くらいの角度で東海道線を跨いでいたルートを取っているのが分かります。現在はまっすぐに東海道線を跨いでから直角に曲がるルートを取っています。
 狭いながらも旧線跡が空き地となっているのは,その名残ではないでしょうか。

 [平成23年1月]

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