伏見線の廃線跡探訪 |
(中書島)
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伏見線の終点は,ここ中書島(ちゅうしょじま)までです。京阪電鉄本線の接続駅となっています。 当時の写真が残っていないので,現在のスナップだけで紹介させてもらいます。(どなたか提供していただけると幸いです) 明治28年に開通した当時は油掛通りまででしたが,伏見線が中書島まで延長されたのは,意外と遅く大正3年でした。その当時は,既に京阪は開通しており(明治43年開通),京電の方が後からやってきました。 中書島の停留所へ侵入する線路は専用軌道でしたが,現在はごらんのように一方通行の車道となっています。 [平成15年2月] |
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中書島の停留所は,京阪中書島駅と隣接していました。 左写真に見える駅前の空間のところに線路が敷設されていました。 市電廃止後は,バスの停留所になっていましたが,ごらんのように非常に狭く,バスのターンテーブルが設置されたことがあるのは特筆すべきでしょう。 なお,今はバスの停留所も移設されています。 [平成17年8月] |
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廃止前の中書島の様子です。 上の写真と比べると,庇と柱の位置から,どの辺りにプラットフォームと線路があったかお分かりいただけるかと思います。 (写真提供:前川尚氏) |
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上記写真の現在の様子です。 駅前の整備工事前までは,ここに市電の停留所のプラットフォーム跡が確認できたのですが,現在では綺麗に整備されて面影はすっかりなくなってしまいました。 [平成17年8月] |
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中書島駅前整備と共に,ここが伏見線の終着駅であったという新しい看板が設置されました。これは嬉しいですね。 [平成17年8月] |
中書島の駅前の店先には,京都市交通局の境界標が残されています。 | ||||||||||||||||||||||||||||
中書島まで開通した当初は,上記のような専用軌道はまだできてなくて,写真にある道路が川になっており,市電はこの川を渡っていたようです。
その川を渡る橋梁跡(右写真)が確認できます。 [平成15年2月] |
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