京電・伏見線(旧線)の廃線跡探訪

伏見線 七条停車場付近(現東洞院塩小路下ル)

七条停車場  
七条停車場南  
八条竹田街道  
 
十条竹田街道  
旧勧進橋跡  
旧勧進橋東詰  
深草下川原町  
 
竹田久保町  
竹田出橋  
名神高架下  
竹田七瀬川町  
城南宮道  
 
 明治28年2月1日。日本で初めての電車が営業を開始した時の起点は,七条停車場(現在のJR京都駅前)塩小路東洞院下ル,東海道線踏切り南側,とあります。

 現在,塩小路東洞院の交差点の西南角に「電気鉄道事業発祥の地」の記念碑(左写真)が立っていますが,実際はさらに南方へ50m下がった辺りが伏見線の起点となっていました。

[平成17年9月]

 左写真が,その場所辺りです。京都駅の駅弁で有名な「萩の家」と第2タワーホテルが並んでいますが,その横辺りに停留所があったものと思われます。
 ここから,まっすぐ南へ走っていました。ちなみに現在ではまっすぐ行くと突き当たりですが,その向こうに現在の東海道線が走っています。

[平成17年9月]


(旧東海道線跡)
 京電開通当時,東海道線はまだ単線で,大津方面の東山トンネルも開通しておらず,現在のJR奈良線経由で逢坂山トンネルをくぐるルートで走っていました。また東海道線の線路も駅も,現在より北に数十メートルのところに敷設されていました。

 左写真は,上写真の地点を東に向いて撮ったところです。まさにこの東西に走る通りが旧東海道線跡です。
 この写真の右手に伏見線乗り場が,左手に市内線(木屋町線)乗り場があったことになります。

 当時は,伏見線と市内線は東海道線の踏み切りを渡って接続していたので,乗客は大変不便な思いをしていたようです。これが解消するのは,明治34年に高倉の跨線橋ができてからになります。

[平成24年1月]

 ちなみに旧東海道線を東へ歩いてみましょう。
 写真のように,道路は歪に矩形となっていますが,この辺りから緩やかに右へカーブを切りながら現在の奈良線に合流して,その向こうの鴨川の鉄橋を渡っていたようです。

 ちなみに突き当たりにあるのは,正行院(通称:猿寺)というお寺です。

[平成24年1月]

 この正行院,山門に左のような説明があります。

「最初の東海道線は,この寺の境内地を通って七条ステーションに至った。日本最初の市内電車,チンチン電車も,この地から発射した」

 話によると,先代の住職が“境内を煙を吐きながら蒸気機関車が走っていた”ことを覚えていたそうで,それが今まで語り継がれているようです。

 実際は,チンチン電車が発車していたのは,この寺よりもう少し西側と思われますが,ひょっとしたら当時はこの寺の境内の敷地も今よりもっと広く,東洞院通りまであったのかもしれません。

[平成24年1月]

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