京電・伏見線(旧線)の廃線跡探訪

竹田久保町 付近

七条停車場  
七条停車場南  
八条竹田街道  
 
十条竹田街道  
旧勧進橋跡  
旧勧進橋東詰  
深草下川原町  
 
竹田久保町  
竹田出橋  
名神高架下  
竹田七瀬川町  
城南宮道  
 
 下川原町の南がすぐ,竹田久保町です。
 竹田久保町の交差点より100mほど北で旧道は新道から斜めに西南に入ります(左写真)。
 不自然に斜めに入る道だなと感じますが,それが旧道だった証拠ですね。
 その分岐点がこの写真です。やはり道路幅は3〜4m程度の細い道路です。
 旧道は,ここから城南宮道辺りまで続きます。
 上の地点から100mほど下がったところに竹田久保町の交差点があります。
 旧道は,この交差点を東西に走る第一軍道と呼ばれる通りを西に50mほど行った地点で斜めに交差します。

 左の写真はその地点を北に向いたところです。
 非常に狭い道ですが,当時は見渡す限りの田んぼの中を走っていたのでしょう。

 これは,同じところを南に向いたところです。
 旧道が第一軍道と交差したあと,真っ直ぐ南に走っているのが分かります。

 「第一軍道」という名称は,明治政府が明治41年(1908年)11月,この地に陸軍第十六師団を設置し,その際に軍用道路が多くの軍事施設とともに建設されたのですが,その道路のひとつです。他にも竹田街道(国道24号線)の東に並行した南北の通りには「師団街道」という名称が今でも使われています。
 つまり,伏見線開通当初は,「第一軍道」という名称も練兵場そのものも未だなかったわけですね。

 ちなみに,第一軍道を西に進むと京都市営地下鉄「くいな橋駅」があります。
 
 [平成19年9月]

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