京電・伏見線(旧線)の廃線跡探訪

深草下川原町 付近

七条停車場  
七条停車場南  
八条竹田街道  
 
十条竹田街道  
旧勧進橋跡  
旧勧進橋東詰  
深草下川原町  
 
竹田久保町  
竹田出橋  
名神高架下  
竹田七瀬川町  
城南宮道  
 
 先ほどの道を南に進むと,旧道はほぼ現在の竹田街道と並行します。
 稲荷線が開通するのは,1904(明治37)8月4日になるのでもう少し先のことです。新道が先に開通したのか,稲荷線が先に開業したのかは調査不足で分かりませんが,稲荷線が先ならばおそらくこの写真辺りで稲荷線と分岐していたものと思われ,稲荷線は左折(写真左方向),伏見線は直進します。

 この道を真っ直ぐ行くと,突き当たりになりますが,そこでやや左に進路を取り,現在の通りと合流します。

 その合流地点がこの写真です。
 写真では南方向から見ていますので,線路は右手奥から来て,丁度陸橋を降りた信号辺りから斜めにこの通りに入り,手前左方向に線路が続いていたものと思われます。
 …といっても,当時は一面田んぼや畑だったので,合流もへったくれもない一本道だったんですけどね…。
 この先に東高瀬川を渡る橋があり,ちょうどこの辺りに上りと下りの電車が離合する離合線があったと記録されています。

 ここからもうしばらく南へ下がると竹田久保町に差し掛かります。


 [平成18年9月]

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