京電・伏見線(旧線)の廃線跡探訪 |
十条竹田街道付近
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伏見線はその後,八条から十条までは現在の竹田街道沿いに走ります。古い地図を見ると開通当時の路線は,東高瀬川や竹田街道の旧道沿いに敷設していたことが分かります。それがこの十条を下がった辺りから城南宮辺りまでにみられます。 実のところ,この旧線に関する記録はほとんどなく,いつまでこの旧線が使用され,いつ新線に切り替わったのかは調査不足のため不明です。おそらくは現在の新道が整備されたと同時に切り替えられたものと思われますが,詳細をご存知の方がおられたら是非情報提供いただけると助かります。 以降,ここでは,京電時代の伏見線の旧線に限定して,廃線跡を歩いてみたいと思います。 現在,竹田街道十条を南に下がると緩やかに左にカーブします。左写真では京都タワーの方角から手前に来て右方向へカーブしています。このあと,勧進橋を渡ることになりますが,これはあくまで現在の新道。当時はもう少し南側に橋がかかっていたため,道は真っ直ぐ進んでいたようです。つまり,左写真でいうと左方向に真っ直ぐ線路も続いていたことになります。 |
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上の写真を北から見たところです。丁度十条の交差点辺りに立って南に向いています。 |
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バス停の先の道路を曲がると確かに南へ続く道路が残っていました。幅は4〜5m程度。100m以上先に鴨川の土手が見えます。 伏見線は晩年まで専用軌道が多く残っていましたが,おそらくは開通当時は田んぼの中を単線の二本の線路が走っていただけかと思われます。今ではただの路地裏としか思えませんが,当時は伏見へ向かう主街道ということになります。廃線跡と思われるものは何一つありません。 |
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この道を北に向いてみるとこんな感じです。突き当たりの家が建っていますが,この家がないと先ほどの竹田街道に繋がり,北に真っ直ぐ伸びているところが確認できるはずです。 [平成19年9月] |
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