京電・木屋町線の廃線跡探訪

木屋町線 七条停車場付近(現 東洞院塩小路)

七条停車場  
東洞院車庫  
七条東洞院  
七条間之町  
間之町上数珠屋町  
新寺町上数珠屋町  
平居町  
木屋町五条  
木屋町松原  
木屋町四条  
元・立誠小学校跡  
木屋町三条  
木屋町御池  
一之船入  
木屋町二条  
 明治28年4月1日。伏見線が開通した2ヶ月後,市内線の先駆けとなる木屋町線が開通しました。
 当時京都で開催された第四回国内勧業博覧会への輸送が目的で,この七条停車場から,木屋町二条を経由して,勧業博覧会が行われていた岡崎公園横を通り,南禅寺までが開通しました。当時の交通はまだ水運が主で,大阪から船で来た観光客を,伏見港で下ろし,京電に乗り替え,伏見線から木屋町線を繋いで岡崎公園まで輸送したということです。
 その木屋町線の起点は,現在の東洞院塩小路の交差点を南辺りで,現在「電気鉄道事業発祥の地」の記念碑が立っている東隣りを南に30mほど下がった辺りです。
 起点辺りまで歩いてみました。
 右側の建物が京都駅の駅弁で有名な「萩の家」です。その向かいにも数年前まで「萩の家」の建物がありましたが,今はごらんの通り100円パーキングになってしまいました。実は,この萩の家と100円パーキングの間の細い通りが,実は当時の官鉄(現在のJR)東海道線の跡(開通当時は単線)です。市内線の起点は,東海道線を挟んだ北側とありますので,この「萩の家」の脇辺りに停留所があったものと思われます。
(参考:こちらのサイトに当時の写真が掲載されていますが,「七條行」とあるので,停留所についたばかりの電車と思われます。アサヒビールの広告が見えますが,萩の家の前辺りだったものと思われます。)

 一方伏見線の起点は,東海道線の南側にあり,当時,市内線と伏見線は,東海道線の踏み切りを渡って乗り換えていました。 
 左写真は,東洞院塩小路の交差点,つまり一番上の写真の反対方向,東洞院通りを北に向いて撮ったものです。
 開通当時,電車は,まずこの東洞院通りを,七条通りまでまっすぐ走っていました。

[平成17年8月]

東洞院車庫へ 戻る 京電・伏見線へ

Copyright (c) 2000-2012 Hiroshi Nakamura All Rights Reserved