北野線の廃線跡探訪

(一条七本松付近)

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北野  


 現在,中立売通りの商店街の一角に,写真左のような街灯が建っています。この下には「北野とチンチン電車」と題した記念碑があり,この地にN電の北野線が走っていたことを記してあります。このことを,後々の世代にまで残そうと思う市民の気持ちが感じられる空間です。

[平成12年3月]




 この足元のレンガタイルには,チンチン電車のイラストがあります。このイラストは,この商店街のイメージイラストにもなっているようで,この商店街を歩いているとよく見かけます。
 公園の横には,電話ボックスもあり,ここにも電車のイラストが入っています。

 この三角公園は,元々七本松通りの由来である「七本の松」が植えてあった場所,とされています。

 明治33年に堀川中立売から下ノ森まで路線が延伸されたとき,ここに収容線が設置されていました。
 この収容線に屋根つきの車倉が作られており,これが北野車庫の前身である七本松車庫だと言われています。
 (当時の写真はこちら

 [平成24年5月]

 上記の七本松車庫は,単線時代のものでしたが,収容車両台数は少なく,もう少し大きい車庫を必要としており,明治40年頃,中立売通六軒町西入ル南側に土地を購入し,新しい車庫を設置しました。
 この事実は意外と知られていませんが,これが中立売車庫です。
 左の写真の辺り,つまり現在の「メッセ北野」の辺りになります。

 この車庫は,引込線が3〜4本あったとされ,旧七本松車庫よりも収容台数は多かったようです。
 しかし,複線化の時期でもあり,路線も拡張しており,これでもまだ収容台数は足りず,この後,近くに新用地を購入することになったのですが,それが晩年まで運用を続けた北野車庫になります。

 新用地を購入後は,この土地はすぐに売りに出されましたが,それを購入したのが「京都市」でした。そして,大正になってこの旧車庫の跡地に「北野公設市場」が設置されることになるのです。

 [平成24年5月]
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