廃止当時「動く文化財」として惜しまれつつ廃止された北野線。その北野線の記念碑が北野神社前にあります。
明治28年4月,つまり日本初の営業電車が開通した2ヶ月後に木屋町・中立売線の一部として,北野線の一部(堀川中立売〜堀川下立売)が開通しています。その後,着々と路線を伸ばし,北野・堀川線が全通したのが明治45年のことでした。
以後,京都市民の足として活躍してきましたが,昭和36年に廃止となりました。当時,私はまだ生まれていませんでしたが,両親からN電(※)の話は良く聞かされていました(特に母の実家の前には堀川線が走っていました)。それほど,このN電は市民に親しまれていたのでしょう。
では,この北野線の廃線跡を追ってみましょう。
※N電:京電が京都市に買収された時,市営電車の線路幅が広軌(1435mm)であったのに対し,京電の線路幅が狭軌(1067mm)であったことから,Narrowの頭文字Nを称し「N電」と呼ばれていました。
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