京電・中立売線の廃線跡探訪 |
寺町丸太町付近
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寺町通りは,元々平安京の碁盤の目のように張り巡らされた道路の一番東の端を南北に通る道「東・京極大路」に当ります。ですから,昔は河原町通りより寺町通りの方が京都のメインストリートだったようです。寺町通りという名称は,今から約400年前に,豊臣秀吉が町中に点在していた寺を一か所にまとめようと多くの寺をここに移転させたところから来ているそうです。 二条から丸太町までは寺町商店街が続きます。左の写真は,丸太町通りを南に下がったあたりにある下御霊神社です。 |
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寺町通りはやがて丸太町通りと交差します。この交差点の手前付近に離合線が設けられていました。写真は,丸太町通りから寺町通りを南に見たところです。 丸太町通りに出ると,電車は左折し,西(写真右方向)に向かいます。 明治34年3月には,寺町通りをまっすぐ進み,青竜町(現 出町)まで行く出町線が開通しています。 |
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丸太町通りを西に向いた写真です。 丸太町通りは京都御苑の南側を通る道で,ここから線路は,通りの北側(写真右側)に敷設していました。 [平成17年8月] |
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