京電・中立売線の廃線跡探訪 |
堀川中立売付近
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堀川沿いにまっすぐ北上すると終点の中立売通りに達します。明治28年の開通時は中立売止まりで,ここから京都駅方面へ折り返し運転をしていました。(当時の写真は,こちらを参照)
この5年後の明治33年5月,さらに進路を西向きに変えて,北野まで向かう路線が完成し,京都駅前から北野まで,木屋町線経由での路線が開通します。 [平成17年12月] |
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当時は,乗客を乗せたままターンテーブルに電車を乗せ,人力で電車を回転させ,向きを直角に変えて,橋を渡っていました。 その堀川に掛かる橋梁の跡が残っています。当初は単線で橋梁が設置されたため,煉瓦部分が細く見えます。 左写真は,東側橋梁跡の煉瓦(下図@)です。 [平成22年3月] |
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その後,土地買収が進み,堀川を斜めに渡る橋が新たに設置されますが,その橋梁はもう少し南側になり,その跡と比較すると左写真のようになります。(京都市電北野線参照) 現在,旧橋梁跡には,下水道と思われる管が通されています(下図@及びB) 堀川の整備工事後,清流を復活させてからも煉瓦を残してくれているところがありがたいですね。 [平成22年3月] |
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こちらは反対の西側橋梁跡の煉瓦(下図A)です。旧橋梁跡がしっかり残されていることがよくお分かりいただけると思います。 当時はガーター橋が設置されており,写真の管を支えているアーチ部分は,廃止後設置されたものでしょう。 [平成22年3月] |
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その後開通した新線の橋梁部分(下図C)は,旧橋梁部分(下図A)にも煉瓦が組み込まれ,複線でもあるため,旧橋梁と比べ,大きな土台となっているのが分かります。(京都市電北野線参照) 真ん中下部に見えるアーチ型の石組みは,何かの排水溝になるのでしょうか?良く分かりませんが,明治時代の面影のある造りになっています。当時の写真(こちらを参照)でも確認できます。 [平成22年3月] |
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![]() 南側から見た位置関係です。 右図と対比していただくと,よく分かるかと思います。 |
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