京電・高倉線の廃線跡探訪 |
京都駅前(塩小路東洞院)付近
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明治28年7月に開通した木屋町線は,開通当初は東洞院通りを北上する経路(左写真:交差点を左から右へ)を取りましたが,その後,いくつかの路線変更をします。 その原因は,伏見線と市内を繋ぐ木屋町線が,東海道線を挟んでいたため乗換えが必要なことでした。さらに東海道線が,明治31年に京都〜大阪間が複線化。翌年には京都〜大津間も複線化。列車本数も増え,乗り換えの為の踏み切りが頻繁に閉じる為に乗客には不便極まりなかったということです。 そこで当初2つの路線を直接連絡する申請をしましたが認可下りず,東海道線を跨いで接続する方法が検討されました。 |
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まず明治34年1月21日,間之町線を廃止し,七条内浜(現
河原町七条)を経由し,上数珠屋町に再度接続する路線に変更しました。 さらに明治34年4月12日,高倉通りを塩小路通りより南に延長して東海道線を跨ぎ,伏見線の走る竹田街道と連結。伏見線が悲願の京都駅前への乗り入れが可能になりました。 そして,その4ヶ月後の明治34年8月23日には,七条高倉から塩小路高倉を経由して京都駅前へ繋ぐ高倉線が開通しました。 [平成17年8月] |
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